僕がバスケを辞めた理由(わけ)
昨日は、広告代理店時代の大先輩と10年以上ぶりに再会する事が出来ました!
彼とは歳が5つ離れていますが、時には年齢差以上の大先輩に、時には小学生にもなります笑
ビーチバレーの大会を主催しているのですが、僕との代表像が180度違うんですよね。
とにかく自分が自ら楽しむ。だから自ら大会にも出場しますしとにかく楽しむ。
もちろん僕も、リーガ春日井時代には選手として出場していたし、自分のチームを作って看板大会なども開催していました。
ただ僕の場合は、自分が楽しんでしまうと周りの楽しさに鈍感になってしまうのです。自分の喜怒哀楽が一番に来てしまいます。
もちろんそのつもりはないですし、自分でもセーブをしているつもりでしたが。
それでもリーガ春日井がリーガ東海に変わり、チーム数が64チームになった時には、リーガ東海に関わるバスケはやめ、数年後には自身が主催するフリーバスケでもやめてバスケを完全引退しました。フリーバスケに関しては、自分がプレイする事で様々なメリットを打ち出してきたつもりですが、それでも自分が楽しみたいという感情をコントロールしきれませんでした。
それからは完全に裏方に徹して、楽しむ事よりも楽しませる事に特化しました。その結果新たな価値観が生まれ今があると思っています。
彼みたいな代表は今でも僕の理想像です。だけど自分の性格としっかり向き合った結果、それとはサヨナラしました。グッバイ。
いろいろな正解があると思うので僕は全ての代表像を否定しませんが、「自分の好きは必ずしも周りは好きじゃない」という言葉で天狗の鼻を折られた20代を教訓に、今でも自分の感情には鈍感に、周りの感情には敏感にしているつもりです。
まだまだ至らない男なので、日々フェイスガード生活ですけど…
ただ彼には本当に成長させてもらったし、ビーチバレーの普及活動における様々な苦難を隣りで見てきていたので、バスケでも起きるそれらをしっかりコントロールする事が出来ています。
瞬間瞬間で様々な団体が上っ面だけをすくい取って表に出てきても、結局10年以上続いているのは彼の団体だけなんですよね。
継続は力なり。長い目で。
そんな彼が10年振りに話した数々は、流石に楽しそうな内容でした。僕にでも協力出来る事があれば何でも言って下さい。
ちなみに久しぶりの再会で、退院以降初めてぶっ倒れそうになりました。
10年前の自分を改めて見つめなおせたキッカケでした。確証のない無敵感や自分だけ特別だと思った発想やアイデアは、歳を重ねるにつれボッコボコにされ殺されました。
が、しかし、変わりに出会えた「当たり前の事を当たり前に続ける」という、一見パッとしない武器を手に入れる事が出来ました。
あの頃の自分サヨナラ